武蔵村山に巨人の足あと? 大多羅法師(だいだらぼっち)の湧水を地図でたどる
不動産屋という仕事がら、毎日のように地図を眺めています。土地の形、道の幅、坂の向き。そうやって武蔵村山の地図を見ていると、ときどき不思議な場所に出会います。
今回はその中でも、とびきり大きなお客様の話です。身長はおそらく500mを超え、山を背負って武蔵村山を歩いたという大男、大多羅法師(だいだらぼっち)です。
大多羅法師ってだれ?
ダイダラボッチは、日本の各地に伝わる巨人の伝説です。山を運んだり、湖をこしらえたりと、やることのスケールがとにかく大きいのが特徴です。武蔵村山では「デエダラボッチ」とも呼ばれ、市のお祭り「村山デエダラまつり」の名前にもなっています。
武蔵村山に伝わるお話は、こうです。
- 大多羅法師が、藤のつるで山を背負って歩いていました。
- ところが途中でつるが切れ、背負っていた山がどすんと落ちて「丸山」になりました。
- 腹を立てた大多羅法師は、山の藤を引き抜いてしまいました。それ以来、丸山には藤が生えないといわれています。
- そして、大多羅法師が歩いた足あとには水がたまり、井戸や湧き水になりました。
足あとから水が湧く。水道のない時代の村にとって、これほどありがたい通行人はいなかったはずです。
足あとを地図に並べてみた
足あとと伝わる湧水、番太池、そして市が案内している「大多羅法師の井戸」。この6か所を、国土地理院の地図をなぞって作った地図に重ねてみました。
並べてみて驚きました。南東の湧水①から北西の大多羅法師の井戸まで、全長は約1.2km。6か所すべてが、両端を結んだ直線から90mほどの幅に収まっています。進む向きは、ずっと西北西です。
狭山丘陵の東京都側には、こうした大多羅法師の伝説地がいくつもあり、それらがほぼ東西一直線に並んでいることは、武蔵村山市史(民俗編)でも指摘されています。大男は、寄り道をしない性格だったようです。
歩幅から、身長を計算してみた
不動産屋の悪いくせで、距離が分かると、つい計算したくなります。となりの地点までの距離は、次のとおりです。
| 区間 | 距離 | 向き |
|---|---|---|
| 湧水① → 湧水② | 約190m | 西 |
| 湧水② → 湧水③ | 約510m | 西北西 |
| 湧水③ → 湧水④ | 約140m | 北西 |
| 湧水④ → 番太池 | 約70m | 北北西 |
| 番太池 → 大多羅法師の井戸 | 約300m | 西 |
| 合計(5歩) | 約1,190m |
1か所を1歩とすると、平均の歩幅は約240mです。人の歩幅は身長のおよそ0.45倍といわれるので、逆算すると身長は
240m ÷ 0.45 = 約530m
東京スカイツリーが634mですから、その8割を超える背丈です。スカイツリーの天望回廊(地上450m)から窓の外を見たら、大多羅法師と目が合うかもしれません。
それにしても、歩幅は70mから510mまでバラバラです。重い丸山を背負って、よろけながら歩いていたのでしょうか。藤のつるが切れたのも、なんだか分かる気がします。
ちなみに歩幅240mは、間口10mほどの住宅の区画なら、ひとまたぎで24軒分。足もとのお宅は、さぞ驚いたことでしょう。
足あとの先にある、番太池と大多羅法師の井戸
番太池(中藤2丁目)
上と下、2つの池からなるため池です。江戸時代には、赤坂池とともに、ふもとの田んぼへ水を送る大切な溜池でした。足あとの湧水が集まる場所にあるのは、偶然でしょうか。
大多羅法師の井戸(中央4丁目)
「大男が藤づるで丸山を背負って歩いた足あとが井戸になった」という言い伝えが残る井戸で、武蔵村山市も施設として案内しています。足あとをたどる旅のゴールにぴったりです。
所在地:〒208-0003 東京都武蔵村山市中央4丁目
足あとの水は、どこへ流れていく?
番太池や赤坂池の湧き水は、入谷川(いりやがわ)という小さな流れになって東へ下り、中藤5丁目で谷戸川と合流します。東大和市芋窪4丁目からは「奈良橋川」と名前を変え、住宅地の間を流れて、東大和市高木3丁目で空堀川に合流します。奈良橋川は、空堀川の主な支流のひとつです。
足あとの湧水は、この奈良橋川の流れに沿って並んでいます。大多羅法師は西北西へ、つまり川の上流へ向かって歩き、足あとから湧いた水は反対に、下流の東へと流れていく。巨人の足あとをたどる道は、そのまま川の源をたどる道でもありました。
ちなみに空堀川という名前は、雨が降ったときだけ水が流れる「涸れ川」だったことから付いたといわれます。大多羅法師がいなくなってから、水が足りなくなったのかもしれません(これも冗談です)。
伝説の裏にある、水の湧く土地
狭山丘陵のふもとは、昔から湧き水に恵まれてきました。水が湧く場所に人が集まり、田んぼが開かれ、村ができていきました。巨人の足あとの伝説は、そんな土地の記憶を、子どもにも分かる形で語り継いできたものなのかもしれません。
ちなみに、伝説の「丸山」は宅地開発でほとんど姿を消したそうです。山が住まいに変わったと聞くと、不動産屋としては少し複雑な気持ちになります。
土地には、それぞれの歴史があります。売却や相続のご相談のついでに、「この辺りは昔どんな場所だったの?」と聞いていただくのも大歓迎です。昭和42年からこの町にいる不動産屋として、分かる範囲でお話しします。
歩いてみるなら
- 湧水の中には、住宅地の中やそばにあるものもあります。見に行くときは道路から静かに眺め、敷地には入らないようにしましょう。
- 番太池と大多羅法師の井戸は、地図で場所を確かめられます。番太池の場所/大多羅法師の井戸の場所
- 秋に開かれる「村山デエダラまつり」では、デエダラボッチをモチーフにした山車が町を練り歩きます。伝説の大男に会いたい方は、ぜひ。
参考にしたもの
- 武蔵村山市「大多羅法師の井戸」
- 武蔵村山市「歴史散策東コース」(大多羅法師の井戸・番太池)
- 武蔵村山市「村山デエダラまつり概要」
- 東京都建設局「奈良橋川」
- 「東京のダイダラボッチ」(『狭山之栞』『多摩の伝説』『武蔵村山市史・民俗編』などの紹介)
距離と向きは、地点の緯度・経度から計算したおおよその値です。身長の計算は、もちろん冗談半分です。